瀬戸内寂聴さんがお亡くなりになりましたね。
不倫などから離婚、執筆活動など波乱万丈。
その人生をニュースで少し触れていて、
そこから考えていたこと。
愛情と愛は違う次元のもの。
スピリチュアルの世界では、
愛情ではなく無条件の愛というものが一つの目標地点。
愛情なのか、愛なのか。
同じようで全然違い、愛情のままでは人を傷つける可能性がある。
若い時は愛情という次元で大変だったかもしれないけれど、
瀬戸内寂聴さんは愛に昇華されたからこそ、
色々な方に影響を与えられるようになったのかもしれない。
それでも、誰かを傷つけることは恥ずかしくないのか、
という人もいるかもしれません。
実際、若い頃は相当ひどいことを言われたとも語っていました。
確かに、それは恥という言葉に該当する行為だとは思います。
僕は海外に出て、色々な文化や風習の違いを感じました。
特に日本人はマナーが異常に良くて、
他の国に比べれば罰則がそれほど厳しくない割にゴミをポイ捨てする人は少ないですし、
バスや電車でも並んで待ちます。
並べない国ってけっこうあるんですよ。
スリランカで電車の扉に殺到する人々や、
レジ待ちしてて、列の反対側(出口側)から
商品を出してくるという斬新な横入りなどもたくさん経験しました。
日本は、幼い頃から「これは良くない・恥ずかしいことだ」としつけされるんですね。
子どもの時から他者の目線を押し付けられて育ちます。
これを「恥を知る文化」と僕は思っているんですけど。
だからこそ、日本人はマナーの平均値が高い。
「日本もそうでもないよ」
そういう意見もあるかもしれませんが、
外国はレベルが違います。
別に悪いとか良いとかを言いたいわけではありません。
人間の基礎として恥を知るのは重要だと思います。
けれど、それを他者にも押し付け続けるのは進化・進歩に繋がらないかもしれません。
外国の方が自分らしく生きることが上手だと思ってますので。
スピリチュアル的に波動とか振動数とかを説明する資料とかによると、
恥とか屈辱、非難とか罪悪感とかはものすごく低い波動で、
許しとか愛とかは非常にそれに比べると高い波動なんです。
いつまでも恥や後悔などのブロックに囚われず、
常に進み続けた人。
自分を大切にし続けて、愛を他者に分け与えることができた人。
そんな印象を受けたなと、思いました。
そんな愛とか情とかの違いを今日は書きたくなる日でした。
常に応援していたとかではないけれど、
こういう思いを吹き込んでくれてありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。